創価学会の会員のための資料
■過去の投稿等から
題名:支援の自由 1/3
投稿日:2021年 9月11日(土)
近年、会員が「支援は自由」と主張すると、
「学会員なんだから、支援するのは当然じゃないか…」
「支援したくないなら、学会をやめればいいじゃない…」
と言う乱暴な言葉を投げかけられる場面に出くわすことがあります。
勿論、創価学会が、支持母体として公明党を支援するのは自由です。
しかし、「会員個人の政党支持は自由」であるはずです。
また、学会組織の支部・地区の責任者(支部長・支部婦人(女性)部長、地区部長・地区婦人(女性)部長)が、党支援を強要され、悩んでいることがあります。
本来、党支援は、学会ではなく、「党の組織が主体者となって行うべき」です。
ここでは、具体例として以下の二例を考えます。
(1) 創価学会の会員ならば、公明党を支援しなければならないのか?
(2) 学会組織の長は、公明党支援を行わなければならないのか?
これらのことに関して、順を追って考えてみます。
■小説:新・人間革命 第14巻 「大河」の章
「小説:新・人間革命」の研鑽を奨励する学会ならば、この小説で述べている主旨を大切にすべきです。
「大河」の章の冒頭に、昭和45年(1970年)5月3日開催の第33回本部総会のことが記されています。
ここには、池田第三代会長が「学会は、公明党の支持団体として、党を支援するが、組織的には双方を明確に分離する」ことを語られています。
小説では、具体的には、五項目の原則を述べられ、参加者全員の賛同を得ている様子が書かれています。
詳細は小説を参照してもらうとして、ここでは、次の二項目だけ引用します。
====引用開始====
③創価学会は公明党の支持団体としていく。学会員の政党支持は従来通り自由である。
④選挙に際しても、学会は支持団体として、当然、応援はするが、党組織を確立し、あくまで党組織の活動として行うようにしてほしい。
====引用終了====
「党と学会組織の分離」「会員の政党支持は自由」の二点に着目します。
「(選挙では)党組織を確立し、党の活動として公明党を支援する」とありますが、「学会組織の活動」としての「支援」ではなく、あくまでも「公明党(党員・支援者)の活動」としての「選挙支援活動」です。平たく言えば、「支援活動は『学会』ではなく、『党の活動』として行おう」という事だと思います。
このこと(「党」と「学会組織」の分離)は、同時に「学会員個人の政党支持は自由」であることに深く関連していると思いますので、もう少し掘り下げてみます。
■池田会長講演集 第三巻(昭和46年5月3日発刊)
上記の小説:新・人間革命の第33回本部総会の場面を、もう少し調べてみました。
池田会長講演集 第三巻に、昭和45年(1970年)5月3日開催の「第33回本部総会」の講演が収録されています(「池田会長全集」第4巻 講演・巻頭言編 (昭和46年12月15日発行)にも同様の内容が収録 )。上の小説の場面です。
小説:新・人間革命には、「五項目の原則」として書かれていますが、実際の講演での発言の方が微妙なニュアンスも伝わると思いますので、以下に、講演集から先生の講演を部分的に引用します。
尚、小説での「五項目の原則」は、講演内容を日刊の聖教新聞連載での限られた紙面に掲載するため、主旨を踏まえて要約したものと推察しています。
====引用開始====
・「公明党のビジョン」を発表した時も「学会員一人一人の政党支持は自由である」と明言しておきました。むしろ創価学会は宗教団体として、信仰・布教に専念し、公明党は公党として、立派に社会に貢献し、大衆福祉のために戦ってほしいということが、私の一貫した願いであったのであります。
・これは提案になりますが、創価学会と公明党の関係は、あくまでも、制度の上で、明確に分離していくとの原則を、更に貫いていきたいのであります。
・今後、たとえ票が減ろうと、議員数が減ろうと、それが世論の要望であり、本来のあり方であるならば、近代政党として、当然の道であります。
・学会は、公明党の支持団体ということになります。
当然、学会員の個人個人の政党支持は、従来どおり自由であります。
学会は、日蓮大聖人の仏法、三大秘法の御本尊を信奉する宗教団体であって、政党支持については、会員の自由意思にまかせ、全く干渉するものではありません。
逆にいえば、いかなる政党支持の人であろうと、いかなるイデオロギーをもつ人であろうと、この妙法の旗のもとには、全く、なんの差別もなく、平等に包容されるべきであることを、明瞭にしておきたいのであります。
・また、選挙にさいしても、公明党は党組織を思いきって確立し、選挙活動もあくまで党組織の仕事として、明確に立て分けて行っていただきたい。
・以上のように、創価学会と公明党を分離していくことを提案いたしますが、賛成の方は挙手願います。(全員挙手)
====引用終了====
これは、昭和45年(1970年)当時の講演ですが、今の学会の実態は、多くの点で、上の方針に相違(違背)しています。
ついでに、気になる箇所も記しておきます。
====引用開始====
・ただし、このことは、同時に政治の次元、イデオロギーの次元の問題で、学会内部を攪乱し、人々の信仰を濁らせ、組織を破壊する行為は、許されないことも意味します。信仰の純粋性、美しい和合僧の団結は、どこまでも守らなくてはならない。これを乱す行為に対しては、除名などの措置をとるのもやむをえないと思うのであります。
====引用終了====
これは、第六天の魔王に支配され、「支援の自由」を盾に、組織を破壊することを戒めていると考えられます。
また、「支援の自由」を認める一方で、外部の敵を安易に招き入れたことによって、組織が破壊されるのを防ぐ場合も想定されていると思います。
この文章を眺めた人の中には、「しめた」と思い、「組織の打出しに従えないものは、『反逆者』だ。追放しろ!」と主張する人もいるかもしれません。
しかし、丁寧に読むことが大切です。先の先生の講演の主旨を踏まえ、順に確認していきたいと思います。
先ず、先生が提示された原則の「党と学会組織が分離」された前提だと、「学会組織が政党支援を打ち出す」ことはありません。
「公明党組織」が党員・支持者に対して、「支援を推進する」のです。「学会組織」ではありません。
現状は、「党」ではなく、「組織」が選挙を推進しています。この点を早急に改めるべきだと考えます。
次に、「学会が支持決定したのだから、会員が支援するのは当然だ」との主張もあるでしょう。
学会の中央/方面/県の社会協議会が「政党や候補者」を「支持決定」します。それを現場の会員に伝え、それを参考に会員一人ひとりが判断することになっています。
また、宗教法人が、政党・候補者を支援する自由と権利はあります。
しかし、学会組織が政党や候補を支持決定したとしても、一般の会員がどの政党を支援しようが、どの候補を応援しようが、それは「自由」です。
たとえば、もし、創価学会に入会しなければ「支援は自由」だったのに、創価学会に入会したとたん「支援は自由ではなくなる」なら、憲法で定める「思想・信条の自由」が保証されなくなります。
「入会したら自由がなくなる?」。創価学会は、そんな乱暴な宗教団体ではないはずです。
入会の際に、そんな注意事項を事前説明したことはありません。する必要はなかったからです。
入会前には告知せず、入会してから「実は、会員は公明党を支援しないといけないんだよ」なんて、やって良いはずはありません。
少なくとも、かつてはそんな団体ではありませんでした。
昔から、「公明党とは違う政党を支援したい」という学会員もいました(今もいます)。
「公明支援はしない」けれども、「学会員」です。御本尊に祈っているなら、猶更です。更に言えば、心ある学会員は、たとえ「学会員の意識はない」メンバーでも、同志と思って激励を続けているでしょう。
それが、「この妙法の旗のもとには、全く、なんの差別もなく、平等に包容されるべきである」との宣言だと思います。
学会員の資格は、「支援する」「支援しない」で決まるものではありません。
また、「支援しない奴は、学会から出ていけ!」などと主張する輩は、本当に学会員なのでしょうか? 仏法者なのでしょうか?
おかしな幹部の言葉を真似るのではなく、もう一度、自分の頭で考えてみるべきです。自分の生命を傷付けるような行為は止めるべきです。
更に言えば、「政治/イデオロギーの次元を学会に持ち込み」、「学会内部をかく乱し」、「純粋に大聖人の仏法を信仰しようとする人々の信仰を濁らせ」、「『政党支援は自由』と主張する人達を迫害、排斥して、組織を破壊」する行為は許されません。
「『学会活動の信仰の次元』と『党の政治の次元』を明確に分離するように」との池田先生の提言を無視し、「信仰」の次元に「政治」を持ち込むことで、敢えて混乱を招き、従わない人材を迫害するのは間違いです。
そして、学会指導に背き、学会の秩序を乱し、学会を破壊する行為に対しては「除名などの措置をとる」可能性も出てくると、先の文章からは読むことができます。
要点を言えば、「会員の政党支援の自由」を奪い、邪義を持ち込み、学会を破壊する者は「除名」されても仕方ないとさえ解釈できます。
「自分に従わないから」と言って、「除名」をちらつかせて、罪なき人の「自由を奪う」のは、間違いです。
「支援は自由」です。丁寧に言うと「学会の会員個人の政党支援は自由」です。
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題名:支援の自由 2/3
投稿日:2021年 9月11日(土)
先の投稿では、昭和45年(1970年)5月3日開催の「第33回本部総会」の内容を、「小説:新人間革命」と「池田会長講演集」から確認しました。
しかし、これを基に、「支援は自由」を主張すると、心ない幹部(会員)から「それは過去の指導だ」と言われることがあります。
今回はそのことに関して、もう少し掘り下げて確認してみます。
■1964年(昭和39年)5月3日の本部総会(「池田会長全集」第3巻 講演編 昭和43年5月3日発行)
公明党結成のことを発表した昭和39年の本部総会で、「創価学会は宗教団体であり、公明党は政治団体である」と学会組織と党(公政連)の分離を宣言されています。
更に、「信心はあくまでも信心、政策はあくまでも政策です。したがって、多数の会員の中には、政策に関して、異議、異論をはさむ人も出ることは当然であります。あくまでもそれは自由といたします。」と講演されています。
■1970年(昭和45年)5月3日の本部総会
先の投稿を参照のこと
■1994年11月10日の「第35回総務会の決定」
「一、ただ学会員個人個人の政党支持は、自由であることを再確認しておきたい。」
この内容は、1999年9/18,9/19の聖教新聞にも掲載されています。
■2005年の「小説:新人間革命 第14巻」の執筆
第14巻の初版の発行日は、2005年10月12日です。
この昭和45年5月3日の第33回本部総会の様子を、池田先生は2005年に執筆されています。
本幹の映像でも先生のご健在を確認していた、この「2005年当時」には、先生は「党と学会組織」「会員の支援の自由」の意思を、堅持されていると考えます。
■2019年の「SOKA GAKKAI ANNUAL REPORT 2019」
この冊子は、創価学会・広報室が発行する ANNUAL REPORT(年次報告)で、公式で、対外的な文書だと考えます。
この2019年版75頁にも「会員個人の政党支持は自由」の主旨が紹介されています。
上記の主張・見解を時系列に整理すると、以下のように「会員の支援の自由」は宣言・紹介されています。
・1964.05.03 池田会長の本部総会での講演
・1970.05.03 池田会長の本部総会での講演
・1994.11.10 第35回総務会での決定
・1998.9月 聖教新聞で「1994年の総務会の決定」を紹介
・2005 小説:新・人間革命 第14巻「大河」の章の執筆
・2019 SOKA GAKKAI ANNUAL REPORT 2019
池田先生の会長在位期間だけでなく、その後も創価学会の総務会や広報室も公認し、つい最近の2019年まで学会本部は「会員の支援の自由」を認めていました。
公明党結党以来の、創価学会の支援に対する姿勢は変わっていないと考えられます。
今回の投稿・最初の「支援の自由」と言っても、それは「先生の過去の指導」との主張に関してです。
創価学会では、少なくとも2019年までは有効だったと確認できます。
そして、「会員個人の政党支援の自由」は「過去の指導」ではなく、現在も「支援は自由」だと私は考えます。
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題名:支援の自由 3/3
投稿日:2021年 9月11日(土)
本年(2021年)7月の本部幹部会で、突然、原田会長は「支援活動は宗教運動の一環」と発言しました。
本部幹部会での原田会長発言の一部を下に引用します。
====引用開始====
すなわち、私たちの推進する支援活動は、『仏法の慈悲を根底にした人間主義の政治』を実現するための、宗教運動の一環であり、だからこそ、まず何よりも、私たち自身の人間革命ーー言い換えれば、祈りを根本に、全ての人の仏性を信じ抜き、あらゆる差異を超えて友情を広げる中で、自己の境涯を広げゆく実践こそが、根本中の根本であります。
====引用終了====
2019年までは「党と学会組織は分離」「会員の政党支援は自由」だったのに、2021年7月には「支援活動は宗教運動の一環」を強調し、学会の活動を政治活動に傾斜させてしまいました(かなり前からそうでしたが、会長が公言したところに世間は注目しています)。
大聖人の御振舞を通しても、宗教が政治に関わる意味は当然あるでしょうが、最初から「支援は当然」「学会員は公明党を支援するのが当然」という会員への締め付け姿勢では、内外の理解を得られないと考えます。
そもそも、短絡的・強権的な強要の姿勢では、「心」がありません。支援の自由の前提で、立派な政党であることを証明し、その上で、党の支援の協力を取り付けるのが正道です。
また、現時点で言えば、何より、だらしない公明党を正常に機能させた上での「支援の協力」を要請するのが筋だと考えます。
会長発言を展開していくならば、「公明党を支援しない学会員」は、宗教活動(の少なくとも一環)には参加しておらず、「人間革命できていない」かのような印象を与えかねません。
「会員なら支援するのが当然」と思うのは自由ですが、会長の立場で口に出すのは慎むべきだと思います(本来ならば、身口意の全てにおいて駄目ですが…)。
会長や高位の幹部が口にすれば、現場に「支援しない会員」を『排除』する理由を与えかねません。
今回の会長発言は、「会長の言うことに従えない者」「組織の打出しに逆らう者」を敢えて作り出しているように見えます。
「分断」や「排除」を意図した発言なら問題です。
池田先生は、「この妙法の旗のもとには、全く、なんの差別もなく、平等に包容されるべきである」と言われましたが、次に述べるように原田会長は「反逆者」をチラつかせています。
池田先生と原田会長では随分違いがありますね。本当に「直弟子」なのでしょうか?
また、従来の「会員の政党支援は自由」との主張を変更するなら、何らかの会議で決定されたのでしょうか?
2019年(2月)から2021年7月までの聖教新聞や組織の打出しに、「会員の支援活動」の方針変更はなかったと記憶しています。
「支援の自由」を撤回し、「会員は支援するのが当然」との論調を打ち出した方針などがあれば教えて下さい。私も確認してみます。
どのような経緯で変更されたのでしょうか? どこで議論され、決議されたのでしょうか?
それとも、原田会長の独断で強行したのでしょうか?
問題なのは、(1) 池田先生の指導とも違い、(2) 従来(少なくとも2019年まで)の学会の公式見解とも違う主張を述べていることです。
しかも、7月の本部幹部会での会長発言の後半部分には、「反逆者」に関して、言及しています。この「反逆者」は、「政策への賛否」を大義名分に「自己正当化を図ろうとする」との趣旨があると感じます。
前半の「支援活動は宗教運動の一環」発言と「『政策』を否定する者」を併記すると、「公明党を支援しない学会員」を想起させ、あたかも「従えない者は『反逆者』である」かのような印象です(以下に引用)。
====引用開始====
さらに、近年の反逆者らがさらす醜態を見れば、そうした『自分中心』の者は、組織運営上の方法論や諸課題、あるいは公明党の政策などへの賛否などを大義名分に利用して、己の後ろめたさを覆い隠し、自己正当化を図ろうとするのが常套手段であることも、皆さま、ご存知の通りであります。
====引用終了====
これらの会長発言は、もはや一線を越えてしまった感があります。
本当に、大丈夫でしょうか?
会長を擁護する幹部・会員も未だいるようですが、どのような説明がなされるのか、聞いてみたいものです。
折角なので、原田会長が7月の本幹で引用した「池田先生が指導された『退転・反逆の方程式』」に関する部分を記します。
====引用開始====
『自分中心になると、御書や学会指導に立ち返ることも、異体同心を第一にすることもなくなってしまう。つまり、本来、仏法者の基本である、自身を見つめ、内省するという姿勢が失われていく。また、自分の心が“師”となってしまうから、自身を制御できず、その結果、我欲に翻弄され、名聞名利に走ったり、自分勝手なことをしたりする。そして、皆に迷惑をかけ、さまざまな不祥事を引き起こす。だから、誰からも信用されなくなり、清浄な学会にいられなくなる――これが退転・反逆していく共通の構図といえます』
====引用終了====
正式な手続きで方針変更を行わず、自分勝手なことをしたり、皆に迷惑をかけ、さまざまな不祥事を引き起こすならば、退転・反逆する可能性が高いと言えます。
学会に「分断」を招き入れ、「破壊」する行為は許されません。もしそうなれば、「内部の敵」です。
最後になりますが、創価学会会則(平成29年11月18日施行)の(地位)を規定した箇所にはこうあります。
====引用開始====
(地位)
第10条 会長は、「三代会長」を継承し、その指導および精神に基づき、この会を統理する。
====引用終了====
会則の条文からは、
「『三代会長』を継承できない者」は「会長」ではないと解釈できます。
「『三代会長』の『指導』・『精神』に基づかない者」は「会長」に相応しくありません。
この「会員の政党支援」に関しては、あらゆる方向からみて、「自由」であるべきです。
また、「組織に従えない者は反逆者」と言うような主張は、間違いです。「三代会長の指導や世間の道理に背くものが反逆者」です。
それを、宗教団体の最高指導者が諫めるどころか、けしかけるような発言は問題です。
7月の本幹での発言は、会長にとっては不本意かもしれませんが、きちんと訂正した方が良いように思います。
そもそも、幹部は「人にやらせよう」などと思わずに、幹部が自分でやればいいだけの事です。
「支援は自由」です。
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以上、「支援の自由」に関して、整理してみました。
また、私の考えも記してあります。是非はあるでしょう。
興味のある方には、本投稿を読んで頂き、自ら考え、できれば多くの同志と語り合って頂ければ嬉しく思います。
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