創価学会の会員のための資料

■過去の投稿等から

題名:常勝の王道 ~四季の励まし 聖教新聞2022.5.1号掲載~
投稿日: 2022/05/05(木)

違和感を感じた方の多い5月1日付の「四季の励まし」です。

この違和感の元は何かを少し探ってみました。
結論を先に記します。

・「切り貼り」の不自然さ
・元々の文意が違うことによる不自然さ

が感じられます。今回は「文意」に着目してみます。

先ず、今回も相変わらずの「切り貼り」のようです。

以前、この件に関して
「無理につなぎ合わせることで、却って、不自然なつなぎとなったり、主旨を歪めるような事態になる可能性もあります。」と書きました。

https://6027.teacup.com/situation/bbs/156612 (← このリンク先の掲示板は現在閉鎖されています)

今回はその件に関して記してみたいと思います。

先ず、全体の論調は、タイトル『「会う」ことから世界は変わる』に集約されている通りだと考えます。
GW明けには、報告が待っているようです(私は「支援は自由」と公言していますので、報告はしません)。コロナ禍でも「会いに動こう」と現場では打ち出されています。
聖教新聞の担当者も、それを後押しするようなメッセージを先生が出しているなら、大勢の会員も動くだろうと考えたのでしょうか?
「四季の励まし」のキーワードを「 」で囲み、つなぎ合わせて要約してみます。

「恐れ」ずに「会う」「世界を変える」
「直接会って」「語っていく」「新たな拡大のうねりを巻き起こ」せ
「まず、誠実な対話で一人の友をつくる」
「一切の偏見を排除し」「対話の扉」を開け
「声」「勇気」「勇気の声」が、「善を拡大」
「相手を思う深き祈りは、必ず通じていく」
真剣に祈れば相手も動かないわけがない
「一人」が大事だ。「これが、広布前進の変わらざる鉄則だ。」
「一対一」で「納得と執念の対話」を。
「これこそ」「直道であり、常勝の王道なのだ。」

一体、読者に何をさせたいのでしょうか?
現場幹部の言葉からは、7月の参議院選挙であることは容易に想像できます。
確かに、先生の言葉をつなぎ合わせれば、会員を操作する文章は何でも簡単に作れるのでしょう。

しかし、池田先生が過去に語られた(記された)文意は違うのではないでしょうか。
以下に、この点を確認してみます。
尚、煩雑になるのを防ぐため、最後の段落のみを取り上げます。

====引用開始====
すべての勝利も栄光も
「一人」から開かれる――
これが、広布前進の
変わらざる鉄則だ。
どこまでも
「一対一」で、
納得と執念の対話に、
敢然と
飛び込んでいくのだ。
遠回りのように見えても、
これこそ
共感と理解を広げゆく
直道であり、
常勝の王道なのだ。
====引用終了====

この一節は、2009.08.28/08.29に新聞掲載された「随筆 人間世紀の光」の「No.202/203 人間の中へ 民衆と共に」にありました。
検証において大事な箇所でもあるので、「随筆」の関連する部分を記します。

====引用開始====
「SGI(創価学会インタナショナル)の活動は、なぜ、これほど世界的に広がりを見せるようになったのでしょうか」
アメリカの未来学者ヘンダーソン博士から質問されたことがある。
「環境運動の母」としても名高い博士は、私たちの運動に、驚くべき“拡大の秘訣”があるのでは、と思われたようだ。
重ねて問いかけられた。
「どうやって、不撓不屈の団体をつくりあげてきたのでしょうか」
私は率直にお答えした。
「まず、一心不乱に事に当たったからです」
誠に素朴だが、「一心不乱」──この一点に徹し抜いてきたからこそ、学会はここまで発展したのだ。
いかなる時も、人生と広布の「勝利」を目指して、心を一つに定め、強盛に祈り、勇敢に動き、誠実に語る。これが学会精神だ。
ともあれ、わが同志が、元気いっぱいに社会のため奮闘している。その躍動する地涌の菩薩の群像こそ、創価の誉れの勝利なのだ。
「そのうえで」と、私は博士の質問に答え、創価の拡大の理由を申し上げた。
「『徹して一人の人を大切にしてきた』からです」
すべての勝利も栄光も「一人」から開かれる──これが、広布前進の変わらざる鉄則だ。いな、変わってはならぬ根本である。
「一対“大勢”」ではない。どこまでも「一対一」で、納得と執念の対話に、敢然と飛び込んでいくのだ。だから強い。だから負けない。遠回りのように見えても、これこそ共感と理解を広げゆく直道であり、常勝の王道なのだ。
====引用終了====

ここには、ヘンダーソン博士からの真摯な質問に、先生が答えられたやりとりが記されています。
つまり、質問である「どうやって、これだけの創価学会を築いてきたのか」に対し、先生は「一心不乱に事に当たった」から、「一人の人を大切にしてきた」から、「一対一」で対話を重ねたからだと答えている箇所です。
策や要領で作ったものではない、と博士は感じておられたのでしょうが、「どうやって」団体をここまで作り上げたかに関して、どうしても知りたかったのだと思います。そのことに関して、随筆には記されています。

ここで、明確にしておきたいのは、「四季の励まし」に記されている「常勝の王道」の言葉は、「選挙大勝利」の「常勝の王道」のことではありません。
「四季の励まし」の「常勝の王道」とは、『「会う」こと、「一対一」で対話することが、選挙戦の大勝利のための「秘策」』かのような論調に仕立てられていると私は感じますが、文意は違います。

もう少し、随筆を読んでみます。
興味ある方は原文を探してみて下さい。私は要旨のみ記します。

先ず、随筆に書かれた難攻不落の創価建設の時期です。関連する幾つかを記します。

「それは、第3代会長に就任して3年後(昭和38年)の5月。私は、東京・北区の田端を訪れた。」
「昭和54年の4月──私は、神奈川の横浜・旭区にいた。会長辞任を発表する4日前のことである。」
「名誉会長になった私が、本格的に訪問対話を開始したのは、30年前(昭和54年)の8月下旬である。」

難攻不落の創価の城を築いた「常勝の王道」とは、昭和54年の会長辞任とその後の反転攻勢に関して書かれた内容だと私は考えています。

随筆には、昭和54年8月下旬から始まった「功労者宅への訪問」は数年後には600軒を超えたことが記されています。
「会合に出るな」「指導をするな」と活動を制限された池田先生は、「会合にも出ない」「指導もしない」代わりに「功労者宅の訪問」を開始されます。
この随筆にはありませんが、皆を激励するためにピアノの演奏も練習されました。
偉大な師匠は、極めてユニークです。痛快です。

また、宗門問題の側面で見れば、幾多の学会員が虐められ、悔しい思いをしました。
地域広布に尽力されてきた草々の功労者にとって、昭和54年の先生の辞任は二重の意味で悔しかったでしょう。
先生は、全国の幾千、幾万の草々の同志を激励せずにはおられなかったと思います。
せめて代表の方だけでも激励して差し上げたいとの思いで、全国を回られたのだと思います。

昭和54年5月5日、「正義」の揮毫。脇書には「我一人 正義の旗 持つ也」。

当時の最高幹部が何をしてくれたでしょう。騒ぎを収めることもできませんでした。
その上、辛い思いをしている草々の同志に激励もありません(少なくとも私は聞いたことはありません)。
だから「正義の旗」を持つのは、先生「我一人」だったと思います。

先生が辞任されてからも、歯を食いしばり、広宣流布に邁進する同志がいました。
「先生は悪くない」「何故、先生が辞めなければならないのか!」と。
先生は「正義の旗」を庶民の中に見たのだと思います。
不退の功労者の姿・心根に「正義」があると考えておられたのだと思います。
それは、最高幹部が忘れ去った「正義」です。

辞任されて尚、「功労者の晩年に幸あれ」と一心に願われ、励まされた一心不乱の行動に、反転攻勢の勝利の因が積まれたのだと考えます。
激励は、生命をすり減らす崇高な作業です。
生命力を分け与えるような激励は、大変に疲れる重労働です。

「難攻不落の創価の城はどのように築かれたか?」

それに的確に答えられる人は多くはないかもしれません。
だからこそ、ヘンダーソン博士はどうしてもその答えを知りたくて、先生に質問されたのだと思います。
その答えの一面を、「一心不乱」であり、「一人を大切にした」「一対一の対話」と表現されたのだと考えます。

たった一人の会員の心の中にしか「本当の創価学会」はないのだと思います。何年、何十年も広宣流布のため、学会のため、同志のために戦い抜いて来られた功労者を激励する。
時間をこじ開けて訪問し、会話を交わし、心を通わせる。悪が画策する分断に立ち向かい、師弟の絆を深める。
一対一の師弟の絆。何としても激励せずにおくものかとの一心不乱の師の思い。何としてもこの地を広宣流布してみせるとの一心不乱の弟子の思い。
「一対一」「一心不乱」は本当の創価の師弟の姿にあると私は考えます。

故に、随筆の「常勝の王道」の表現は、「選挙に勝利する」というような軽薄な意味ではないと私は考えます。
確かに、文章の断片を繋ぎ合わせれば、それなりのメッセージを伝える文章にはなるでしょう。
しかし、このように、背景を無視し、先生の指導を切り刻んで、本来の意味をも変えてしまうのは直ちに止めるべきだと考えます。

私は何も「対話」を軽んじている訳ではありません。「対話」の重要性は認識しているつもりです。硬直化した事態に「対話」から始めるべきだとも考えています。
随筆の文意は、その「対話」を「難攻不落の創価学会が出来上がった」原因の一つとして紹介しているのだと思います。
先生にとっても、学会にとっても、最も苦しかった状況で、再建に着手された先生の「一心不乱」の行動と心根が、再建、そして堅固な創価学会を築きあげた、そして手法としての「対話」であったとされているのだと考えます。

私が問題にしたいのは、皆が慕う師匠の文章を繋ぎ合わせて、人を欲しいままに動かそうという卑しい心根に対する嫌悪感を紙面作成から感じることです。
聖教職員は、もっともっと原文を読み込んで、その背景にある先生の思いを理解しようと努力すべきだと思います。

もしも、この「四季の励まし」に違和感を覚え、その由来を探しておられた方がいるなら、本投稿が納得する説明になっていれば嬉しく思います。
また、今日は「正義」の揮毫が認められた「五月五日」です。※1
本投稿が「四季の励まし」の違和感を払拭し、すっきりと決意も新たに出発できるなら何よりです。

「四季の励まし」がこのように、先生の言葉を「切り貼り」して、自分達の都合の良いように意図的に利用しているのは、何とも表現できません。
ただただ、残念だと言う以外にありません。

聖教新聞のTV CMの「言葉と生きていく」の姿勢が、「言葉(だけ)で生きていく」とならないよう、切に願っています。

(参考)

5月1日の「四季の励まし」の引用元を分かる範囲で紹介します。

2006.08.20 北海道・東北・中部・信越合同研修会
2009.09.25 全国代表幹部会
2010.04.17 新時代第39回本部幹部会
2009.08.28/08.29 随筆 人間世紀の光 No.202/203 人間の中へ 民衆と共に

尚、上記以外の文章も引用されていますが、私の方で確認できていない箇所もあります。

※1 2022.05.06 誤記訂正 誤:「共戦」→正:「正義」


掲載リンク:現在、投稿した掲示板は閉鎖されたため、閲覧はできません。ご要望が多かったので、再掲しました。

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